日本の偉人として最も有名

千円札で有名な野口英世は、子ども向けの偉人伝が多数発行され「偉人伝の代表格」ともいわれる、世界に誇る福島の有名人です。

しかし野口英世自身、自分が紹介されている偉人伝を読み「これは作り話だ」と話したといわれています。

こんな逸話があります。海外留学をするために、多くの支援者等から集めた海外留学費用を、芸者衆を呼び宴会一晩で使い果たしてしまった。女遊びが好きで、酒好きな浪費家だったといわれています。実際、渡航費用は、日本にいた婚約者の持参金をつかってアメリカに渡っています。しかしアメリカに渡ったのち、アメリカ人と結婚。
子ども向けの偉人伝が多かったため、伝記では伏せられている事が多かったのでしょう。

英世の生家は貧しく少年時は「希望のない家には居たくない早く家を出たい」と思い、姉に婿を取り継がせればいい、自分は出て行く。と言い、姉とよくケンカをしていたそうです。長男だからと姉に諭されても、「継ぐくらいなら死んだ方がましだ!」と川に飛び込んだこともあったといわれます。
また左手の障がいを逆に利用し、同級生などに同情を誘い文房具などをもらっていた。なかなかしたたかな性格でもあったようです。

小学校時代教師や同級生による募金が行われ、会津若松で開業していたアメリカ帰りの医師の渡部鼎により左手の手術を受け、多少の不自由もありながら指が使えるようになり、この手術の成功に感激したことがきっかけで医師を目指しました。その後は偉人伝でも紹介されている医学の道に進み研究者として様々な研究に取り組み、ノーベル賞候補に選ばれるようになりました。

障がいを乗り越え苦労して直向きに研究を重ねた功績。手本になるような美談に描かれている自分の偉人伝に嫌悪感があったのでしょう。

実際はとても人間くささを持った人でした。

細菌学の研究に従事し、自らも黄熱病に感染し51歳で死去。アメリカのニューヨーク、ウッドローン墓地に埋葬されております。

【1876年〜1928年】