米内光政「千里鴬啼緑映紅 水邨山郭酒旗風 南朝四百八十寺 多小楼台煙雨中」

千里鴬啼緑映紅 水邨山郭酒旗風 南朝四百八十寺 多小楼台煙雨中
(千里鶯啼(な)いて緑紅(くれない)に映ず 水邨山郭酒旗の風 南朝四百八十寺 多小の楼台煙雨の中)
(注・唐の詩人杜牧の「江南春」の七言絶詩)

米内光政(よないみつまさ) (1880年~1948年)
軍人・政治家。海軍大将。岩手県生まれ。連合艦隊司令長官・海相を歴任。1940年(昭和15年)組閣。日独伊三国同盟に反対し、陸軍により辞職に追い込まれた。のち海相として戦争終結、敗戦処理に尽力した。