新渡戸稲造(1862年~1933年)

新渡戸(にとべ)稲造は1862年(文久2年)8月8日、盛岡鷹匠小路(現:盛岡市下ノ橋町)にて盛岡藩士新渡戸(にとべ)十次郎(じゅうじろう)、せきの3男として生まれた。

札幌農学校在学中にキリスト教の洗礼を受け、卒業後にアメリカ、ドイツへ留学し農学、経済学などを学ぶ。
帰国後札幌農学校教授となるが体調を崩し、米カリフォルニア州で療養する。

その間に妻や恩師に問われていた日本の伝統的な道徳教育についての考えを『BUSHIDO(ぶしどう)THESOULOFJAPAN』としてまとめて出版。この本は日本文化の紹介書として各国語に翻訳され今も版を重ねている。

のちに京都帝国大学や東京帝国大学で教鞭をふるい、第一高等学校校長、東京女子大学学長などを歴任。その人格教育は多くの生徒に影響を与えた。また当時遅れていた女子教育にも取り組んでいる。

2004年の11月1日より樋口一葉(ひぐちいちよう)と交代したが、1984年(昭和59年)11月より旧5,000円札の肖像として人々に親しまれている。

<参考サイト>ー盛岡市公式ホームページ