金田一京助(1882年~1971年)
金田一京助は1882年(明治15年)5月5日、南岩手郡仁王村四ッ家町(現:盛岡市本町通)にて金田一久米之助、ヤスの長男として生まれた。
盛岡中学時代には花明(かめい)と号して短歌を詠み、与謝野鉄幹(てっかん)主催の『明星』の同人となる。石川啄木とは盛岡高等小学校(現下橋中学校)以来の友人であり、啄木の死まで親交が続いた。
東京帝国大学時代、師の上田万年(うえだかずとし)に“アイヌは日本にしか住んでいないのだから、アイヌ語研究は世界に対する日本の学者の責任なのだ。それをやる人がいないということは…”と言われ,アイヌ語に興味を持つ。
のちに北海道へ行き現地を調査、アイヌ民族に伝わる叙事詩(じょじし)ユーカラの存在に注目する。卒業後もアイヌの人々と交流しながら研究を続け、國學院(こくがくいん)大学教授、東京帝国大学教授を歴任、埋もれていたアイヌ叙事詩の存在を明らかにした。
戦後には国語審議会委員として現代かなづかい制定に貢献、1954年(昭和29年)には岩手県出身者としては2人目となる文化勲章を受章した。また多くの辞書や教科書の編・監修者としても知られている。
<参考サイト>ー盛岡市公式ホームページー